・こんばんは
大金持ちの先輩(嫌いだったけど)が、セドリックを売って赤いファミリアを買いました。
理由… 女の子にモテるタメだとか(笑)
サーファーでもないくせにね!
・たしかにセダンもあったけど、印象薄い笑
逆スラントライトが癖強い
・MAZAD 323,Ford Laser
・友人二人が乗っていた…リアシートのデザインと処理が確かに当時は全く無かった画期的なデザインでしたよ…アームレストとシートバックの綺麗な連結構成は免許無い貧乏少年にも良いと感じさせました!何時も徒歩の私にとって羨ましいデート車だった思い出が。
・簡単にタックインに持ち込める車だった。当時仲間内ではセダンが流行ってた。うまくいじるとすごく品のある車に仕上がったよ。
・フォルクスワーゲンゴルフをお手本にしたそうです。第1回日本カーオブザイヤ-受賞。ロータリーショック後銀行管理会社となったマツダを救った大ヒット作でした。カタログスペックですごいところはなかったけど、当時FF3ドアハッチバックの1番人気でファミリア最大のヒット作でした。4ドアセダンはさすがにカローラにかないませんでした。5ドアハッチバックではなく、スバルレオーネのような4WD+ターボ+ATのツーリングワゴンでなかったのが惜しまれます。投資を最小限に抑え一番手堅い商品ラインアップにせざるを得なかったのでしょうか?次の年のコスモ・ルーチェモデルチェンジはクラス相応のリソース投入ができず不発でした。しかし、次のカペラフルモデルチェンジはFF化と新型エンジン投入など、日本カーオブザイヤーを受賞しました。当時のマツダは、競合他社の競合商品を部品一つ一つまで徹底的に研究し、既存の技術を徹底的に磨き上げた確実に計算できる完成度の高い商品で、着実な経営をしていました。対照的にホンダが既存のラインアップに高度なメカと独創的なデザインを投入したモデルチェンジでヒット作を連発したのは、そのすぐ後でした。
・私が小学校二年生の頃、父がマイナーチェンジ前のセダンに乗っていました。でも、納車して二日目に大きいドブ川の側溝に落ちてしまい、フロントのバンパーの右側が半分折れかかり、クレーンで引き上げる際に窓の枠を痛めてしまい、修理工場行きとなりました。廃車にならずにすんでよかったと思います。それでも、私が高校生になるまで約8年間お世話になりました。私もスズキ・アルト、日産サニールキノGG、初代アクセラのハッチバック、2代目アクセラのセダンを乗り継ぎ、今現在、デミオのXDツーリングの四駆に乗っています。両親が今乗っているのはAZワゴンです。今年で10年目になります。